まるで「高性能な機械」になったような感覚
「仕事は仕事、私は私」
そう割り切って、職場ではミスのない完璧な対応を続けている。
誰にでも公平に接し、トラブルにも冷静に対処する。周囲からは「安定感があるね」と評価されているはずです。
それなのに、ふと一息ついた瞬間、胸の奥が妙に静まり返っていることに気づきませんか?
「あれ、私、本当は何を感じていたんだっけ?」
「楽しいとか、悔しいとか、そういう自分の輪郭がぼやけていく気がする」
まるで自分が、感情を持たない「高性能な処理マシン」になってしまったような手応えのなさ。
一生懸命に役割をこなせばこなすほど、自分の中の温度が失われていく。
今日は、そんな「プロとして頑張る人が陥りやすい、心の感覚麻痺」について、ある論文を片手に森を歩いてみたいと思います。
「冷静に」の積み重ねが、感覚を鈍らせる
対人援助職(看護、介護、接客、教育など)の現場では、常に一定の「感情コントロール」が求められます。
苦手な相手にも分け隔てなく接すること。
自分の体調や気分を顔に出さず、常にフラットでいること。
これはプロとして当然のスキルですし、とても大切なことです。
しかし、この「個人の感情を横に置いて、役割に徹する」ことばかりを続けていると、心はある種の「省エネモード」に入ってしまいます。
専門用語では、心を動かさずに表情や態度だけを取り繕うことを「表層演技(Surface Acting)」と言います。
「とりあえず、この表情をしておけば丸く収まる」
そうやって自分の感情スイッチを切る回数が増えると、次第に自分の本当の気持ち(本来感)にアクセスする回路が錆びついてしまうのです。
ですが、今回お話ししたいのは「疲れ」の先にある、「希望」の話です。
「冷静さを保ちながら、でもロボットにはならない」ための、示唆に富んだ方法論が研究で見つかっているのです。
もし、今まさに「笑うだけでどっと疲れる」「家に帰ると動けない」という感覚が強い方は、その疲れの構造(感情的不協和)について詳しく書いた別のスケッチがあります。

「自分らしさ」が最強の武器になる
今回手にした2019年の論文には、看護師の方々を対象に、「本来感(自分らしさ)」と「仕事の質」の関係を調査した結果が記されています。
そこで明らかになったことは、これまでの「常識」を揺さぶる事実でした。
【これまでの思い込み】
・「自分の感情(好き嫌いや個人的な思い)は、公平な仕事の邪魔になる」
【論文が明かした真実】
・「自分らしさ(本来感)」が高い人ほど、良い仕事をしている
・自分を大切にする人ほど、「私はプロだ」という誇り(アイデンティティ)が高い
なぜでしょうか?
その鍵は、「深層演技(Deep Acting)」という技術にあります。
「深層演技」とは、上辺だけで合わせるのではなく、「相手の気持ちを想像し、自分の内面から感情を調整して接すること」です。
例えば、不安そうな人を前にしたとき、マニュアル通りの言葉ではなく、自分が過去に感じた不安を少しだけ思い出し、共感しながら「心配ですよね」と声をかける。
この論文のデータが示しているのは、「本来感(私は私であるという感覚)」という土壌が豊かな人ほど、この「深層演技」を自然に行えるという構造です。
「私」という人間としての感覚が生きているからこそ、マニュアルを超えて他者の心に寄り添うことができるのです。
「公私混同」ではなく「資源の活用」
この発見は、私たちに新しい視点をくれます。
「あなたの人間性は、排除すべきノイズではなく、最強の資源(リソース)である」と。
私たちはつい、仕事とプライベートを分けようとします。
しかし、AIやロボットにはできない「心からのケア」や「温かい接客」を生み出すのは、あなたがこれまでの人生で培ってきた「優しさ」「弱さを知る痛み」「ちょっとしたお節介心」といった、あなた自身の人間味です。
仕事の入り口で、感性のスイッチを切る必要はありません。
相手の痛みや喜びに真に寄り添えるのは、あなたの「心の弦(げん)」が共鳴した時だけだからです。 ロボットにはできない、あなた自身のその「心の震え」を、信頼関係を築くための音色として、堂々と響かせてください。
「私らしくいること」は、わがままや甘えではありません。
自分という資源をフル活用して相手に貢献する。それこそが、感情労働という厳しい森で、感覚を麻痺させずに誇り高く立ち続けるための、最も理にかなった「プロの生存戦略」なのです。
「マニュアル通りに対応した」ではなく、
「私だから、この言葉を選べた」
そう思えたとき、ぼやけていた自分の輪郭が、再び確かな熱を取り戻すはずです。
マニュアルに「私」をひとつまみ
明日から、ほんの小さな実験をしてみませんか。
いつもの定型文の挨拶や対応の中に、「あなた自身の言葉」をひとつだけ混ぜてみるのです。
天気の話でも、相手の持ち物を褒めることでも構いません。
マニュアルにはない、あなたがその場で「あ、いいな」「大変そうだな」と感じたことを、そのまま言葉にしてみる。
「今日は寒いですね(定型文)」
ではなく、
「風が冷たいですね、ここに来るまで大変でしたよね(あなたの実感)」
に変えてみる。
その一言を発した瞬間、あなたは「役割」という枠組みから少しだけはみ出し、生身の人間として相手と繋がります。
その瞬間に返ってくる相手の反応(手応え)こそが、仕事の虚しさを「誇り」に変えるビタミン剤になるはずです。
種のスケッチ:概観図

森の歌
ー 知恵の種を別の形で味わう ー
鏡の前で 制服を整える
今日もミスなく 完璧な私へ
誰にでも公平に 優しくあること
それが正解と 信じてきたけど
上手くやればやるほど 遠くなる
胸の奥にある 本当の温度
まるで精巧な 機械みたいに
淡々と過ぎる 時間の中で
「私じゃなくてもいいのかな」
ふとよぎる風 窓を揺らす
マニュアルの文字 なぞる指先
少し冷たくて 立ち止まる
ロボットにならなくていい そのままでいい
あなたの痛みが 優しさに変わる
「私」という根っこが 水を吸い上げる
不器用な言葉も あなただけの音
役割の壁 一枚隔てて
守ってきたのは 何だったんだろう
私の好きも 嫌いも全部
仕事の邪魔な ノイズじゃないよ
作り笑いの スイッチ切って
心の奥から 言葉を探そう
深層(そこ)にあるのは 嘘のない愛
それが一番 強い光
私が私で あることこそが
この場所で生きる 意味になるから
タグを付けよう 「これも私」と
ぼやけた輪郭を なぞっていこう
あなただけの 鮮やかな色で
仕事はきっと 処理じゃなくて
心と心を 繋ぐ音楽
フクロウの筆休め
AIは完璧な答えを出せるけれど、「私も同じように痛かったですよ」と、震える声で共感することはできません。その「震え」こそが、相手を救うこともある。
今回の光岡氏の論文を読んで、そんなことを思っていました。
「自分らしさ(本来感)」という根っこを大切に育てているからこそ、マニュアルを超えた「心に届くケア(深層演技)」が可能になり、それが結果として「私にしかできない仕事をした」という誇りに変わっていく。
つまり、「自分の人間性を豊かに保つこと」が、そのまま「良い仕事」を生み出す「一番の源泉(みなもと)」になるという構造です。
この事実は、私たちに「自分の過去や痛みを、なかったことにしなくていい」と許してくれているように感じます。
私たちが人生で味わった悲しみ、失敗、あるいは個人的な喜び。それら全てが、ただの思い出ではなく、誰かに共感するための「生きた辞書(リソース)」になるのだと。
「人間が人間をケアする意味」は、まさにここにある気がします。
「あなたはロボットにならなくていい。あなたらしく、プロになれるのだから。」
読み終えた後、そんな温かい励ましの言葉をいただいたような、清々しい気持ちになりました。
フクロウからのおことわり
ここに書かれているのは、知の森を歩く中で見つけたヒントを、フクロウの視点で切り取った「スケッチ」のようなものです。正解でも教科書でもありません。
もしあなたの心に響く部分があれば、活用していただけたら嬉しいです。違和感があれば、そっと置いていってください。
今回の知恵の種(出典)
- 論文名: 看護師における本来感と感情労働と職業的アイデンティティとの関連
- 著者: 光岡 由紀子
- 掲載: 日本看護研究学会雑誌 42巻 4号 (2019)
- URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsnr/42/4/42_20190308052/_pdf/-char/ja
※肩書・所属などは執筆当時のものです。

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