その疲れは「運動後の筋肉痛」に似ている
今日も一日、本当にお疲れ様でした。
大きなトラブルがあったわけではない。周囲ともうまくやっている。
それなのに、家に帰ってソファに座ると、「ふぅ」と深いため息が出る。
テレビのお笑い番組を見て「面白いな」とは思うけれど、大声で笑う気力までは残っていない。
「私、なんでこんなに疲れているんだろう?」
「もしかして、どこか冷めてしまっているのかな?」
そんなふうに自分を責める必要はありません。
それは、あなたが冷めているからでも、体力が落ちたからでもないのです。
例えるなら、それは「感情のフルマラソン」を完走した後の、心地よくも重たい筋肉痛のようなものだからです。
「顔」と「心」が裏腹になる痛み
私たちはよく、「心が疲れるのは、気持ちが追いついていないからだ」と考えがちです。
「もっと親身にならなきゃ」「本当の感情で接しなきゃ」と、自分を責めてしまう。
でも、この論文が示しているのは、そんな個人の精神論とは全く違う景色です。
対人援助職(看護、介護、接客、教師など)の現場では、「感情」は個人の持ち物であると同時に、組織から求められる「業務ツール」でもあります。
これを社会学者のホックシールドは「感情労働(Emotion Work)」と呼びました。
ここで問題になるのは、「心」と「顔」のズレです。
理不尽な要求をされて腹が立っているのに、笑顔で「申し訳ありません」と謝る。悲しくてたまらないのに、気丈に振る舞って励ます。
この「感情の不協和(Emotional Dissonance)」こそが、私たちのメンタルヘルスを蝕む最大の要因であることが、研究で分かっています。
不協和が続くと、脳は「本当の自分」がどこにあるのか分からなくなります。
そして、自分を守るために「脱人格化」――相手を人間として見られなくなったり、自分の感情を麻痺させたりする現象――を引き起こしてしまうのです。
つまり、あなたが感じている疲れは、性格のせいではなく、「過剰な不協和」から心を守ろうとする、脳の緊急停止ボタンなのかもしれません。
Zapfが解き明かす「演技」の効能
では、どうすればいいのでしょうか。
荻野氏らが紹介したZapf(ザップ)のモデルは、感情労働を「ただ辛いもの」としてではなく、4つのパーツに分解して見せてくれます。
この構造を知るだけで、「今の疲れはどこから来ているのか」が見えてきます。
・ネガティブ感情表出(怒りや厳しさを見せる)
脱人格化を促進します。「冷たい態度」をとる仕事は、自分自身の心も冷たくさせやすい傾向があります。
・感情への敏感さ(相手の気持ちを察知する)
情緒的消耗感(疲れ)に直結します。アンテナ感度が高すぎることは、それだけで莫大なエネルギーを消費しています。
・感情の不協和(心と顔の裏腹)
うつや不安などの「ストレス反応」を最も引き起こしやすい要素です。心と行動のズレが、一番の「毒」になります。
・ポジティブ感情表出(優しさや共感を見せる)
【重要】実は、これが脱人格化を「防ぐ」効果があることが示されています。
「ポジティブな演技(温かい対応)」は、ただの我慢ではなく、自分を人間らしく保つための「防具」として機能している可能性があるのです。
「プロの仮面」は、嘘ではなく「宇宙服」である
これは、私たちに新しい視点をくれます。
私たちは「作り笑い」=「嘘」「不誠実」だと思い込んでいないでしょうか?
「本当の心で接しなければ、意味がない」と。
しかし、こう捉え直してみてください。
対人援助の現場は、時に感情の嵐が吹き荒れる「極地」です。
そこに、生身のTシャツ一枚(素の感情)で飛び込めば、傷だらけになるのは当たり前です。
ここでいう「ポジティブな感情表出(プロとしての振る舞い)」とは、「嘘の仮面」ではなく、極地で活動するための「高機能な宇宙服」なのです。
宇宙服(プロの振る舞い)を着ているからこそ、嵐の中でも安全に活動できる。
「今は『共感モード』のスイッチを入れている」と自覚して振る舞うことは、相手を騙すことではありません。むしろ、相手の感情の濁流に飲み込まれず、適切な距離で手を差し伸べるために必要な「高度な技術」なのです。
一番苦しいのは、「宇宙服を着ているのに、それを自分の皮膚だと思い込んでいる」状態です。
「素の自分」と「プロの自分」の境目が溶けてしまうと、不協和の毒が回ります。
「これは仕事としての『技術(パフォーマンス)』だ」
そう割り切ることは、冷たさではありません。
それは、自分自身を守りながら、相手に最良のケアを届けるための、愛ある「プロ意識」なのです。
帰宅後の「着替え」の儀式
明日から、こんな「小さな実験」を試してみるのはどうでしょうか。
「宇宙服を脱ぐ儀式」を持つこと。
仕事が終わり、更衣室やエントランスを出る瞬間。
帰宅して手を洗う瞬間。
あるいは、在宅勤務が終わって、生活に戻る瞬間。
心の中で、明確にこう唱えてみてください。
「よし、プロのスイッチ、オフ」
「ここからは、ただの私」
そして、もし仕事中に「笑顔でいなきゃ」と無理をした瞬間があったなら、こう認めてあげてください。
「あそこで笑ったのは、私が嘘をついたからじゃない。プロとして優秀な『技術』を使ったからだ。よく守り抜いたね」
その仮面は、あなたを隠すためのものではなく、
あなたの大切な心を、明日も守り抜くための盾なのです。
「どうすれば、もっと楽に、自分らしく働けるのか?」
よろしければこちらのスケッチもご覧になってみてください。

種のスケッチ:概観図

森の歌
ー 知恵の種を別の形で味わう ー
鏡に映る 上手な微笑み
剥がせないまま 鍵を開けた
誰かのために 削った心は
どこへ行けば 満たされるの
「大丈夫です」と 頷くたびに
本当の声が 遠くなる
嵐の中で 立ち尽くすのは
優しさという 重たい荷物
冷たい指先 感じていた
でも森の風が 教えてくれる
その仮面は 嘘じゃない
吹き荒れる 感情の雨から
柔らかな あなたの根っこを
守り抜くための 透明な盾
演じることは 冷たさじゃない
プロの呼吸で 線を引く
ガラスの向こう 手を振るように
確かな距離で 光を灯す
素顔のままで いなくていい
この場所は 戦場だから
綺麗な服を 纏うように
「笑顔」を着込んで 歩き出せばいい
私が私に 戻る瞬間
静かな息が 満ちていく
その仮面は 嘘じゃない
傷つかずに 愛するために
身につけた ガラスの宇宙服
あなたは今日も 守り抜いたんだ
フクロウの筆休め
今回の論文を読んで、改めて「言葉の定義」に救われることに気づかされました。
一般的に「ストレス」と一括りにされがちな疲れを、この論文では明確に「心理的ストレス反応(不安・うつ)」と「バーンアウト(情緒的消耗・脱人格化)」に分けて扱っています。
前者は「本音を隠す葛藤(不協和)」から生まれ、後者は「相手の感情に敏感すぎること(感受性)」から生まれるという構造の違いは、非常に腹落ちするものでした。
特に興味深かったのは、「ポジティブな演技(表出)」が、実は脱人格化を防ぐという逆説的な発見です。
私たちは「ありのまま」を良しとしがちですが、過酷な現場においては「型(ロール)」に入ることが、実は個人の心を守るシェルターになる。
これは、武道や伝統芸能における「型」の思想にも通じるような気がします。
「演技=偽り」ではなく、「演技=プロとしての防具」と捉え直すことで、現場で汗を流している多くの人の肩の荷が、少しでも軽くなればいいなと思います。
フクロウからのおことわり
ここに書かれているのは、知の森を歩く中で見つけたヒントを、フクロウの視点で切り取った「スケッチ」のようなものです。正解でも教科書でもありません。
もしあなたの心に響く部分があれば、活用していただけたら嬉しいです。違和感があれば、そっと置いていってください。
今回の知恵の種(出典)
- 論文名: 対人援助職における感情労働がバーンアウトおよびストレスに与える影響
- 著者: 荻野 佳代子, 瀧ヶ崎 隆司, 稲木 康一郎
- 掲載: 心理学研究 75巻 第4号(2004)
- URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1926/75/4/75_4_371/_pdf/-char/ja
※肩書・所属などは執筆当時のものです。

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